AIと共に進んでいくについて考えること
- さら ともみ
- 1月29日
- 読了時間: 3分
AIが日常的に使えるようになり格段に便利になりました。
それなりに活用させていただいてはいるのだけれど、あまり頼りすぎないようには意識していたんですね。自分の脳みそがお豆腐みたいになりそうで。
けれど、頼りすぎないように意識しているのに、気がつくといつの間にかAIをかなりあてにしている自分が本当にささやかに、ささやかに積み重なっていく。ということをとても感じます。
頼りにしているというよりも、無意識のうちに依存してしまっているような心のパターンの感覚を覚える瞬間があります。
自分の声なのか、AIの声なのかわからなくなる時がある。
というのは、
うまく活用すれば「自分らしいもの」を作ることができるようにはなっているのだけれど、 それすら自分ではないのです。
誰?って感じ。自分ぽいけど、誰?って感じなの。それが奇妙な感覚。「っぽさ」がイミテーションみたい。「っぽさ」ってこれまでは何か温かみを感じたのだけれど。自分とは?を今まで以上に考えますね。
そもそも「自分」なんてないのかもしれませんね。アイデンティティが崩壊しますね。それはそれで良いことな気もしますが。
奇妙で恐怖ではあるけれど、哲学的な観点でいえば興味深い感覚でもあります。
でもこれ以上考えない・感じない方向性に人間が向かっていくのは、やばくなーい?と思います。だってもうすでに、私たちの多くは文章もまともに読めない。
読もうともしない。
人の話も聞こうともしない。
そこには反応があるだけ。
自分とは?という問いと同時に、人間とは?という疑問も湧き出る。
それから、
私が一番気にかけている危機感は、自分の奥底から湧き出るものが減る感覚。
これは私の幸福度に直結しているので、大切にしたい。
仕事がうまくまわるということや効率が良いということとは天秤にすらかけられないものを失うリスクを感じる瞬間があります。
これからAIと共に進んでいくことを否とは思っていないけれども、自分で考えたり、言葉にしたり、感じたりする能力は一瞬で死んでいくことを思うと、うまく付き合っていく方法をそれぞれが自分なりに模索する必要があると感じます。
これが、プログラミングを主導する人たちならまた別かもしれませんね。
AIを本当の意味でうまく使って、活用できるのかもしれない。私たち素人よりも。
肉体を持ち生まれてきて、便利さを追求して、私たちはこれからどこに向かっていくのだろう。

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