折に触れて気持ちを整理しています。
人は何かが起こってからしか変わることができないのかと。思うことがあります。
少し先が見えるというのは
良いことなのか悪いことなのか、わからなくなる時があります。
みんな幸せになりたいだけなのに
それを素直に掴むことができず
苦しんでいる人はたくさんいます。
それもその人が選んでいることだと。
そうだと思うし、
そして人のトラブルや病気や死、事故など
神様にしかわからないことで
どうやったって私たちがどうにかできることではないことも
その通りだろうと思います。
人の人生は
その人が自分で光の道を選ぶことでしか
タイムラインが変わることはなく
その一助になれればと思うこともありますが
「助」という言葉を使う時点で
人間としての理解の範疇での狭い世界の話なのだろうとも思います。
人に起こる大変なことはいきなり起こるわけではなく
もうすでに歩んできた道のりの中でそこに向かっていて
途中で誰かが
その道を進み続けると、きっとあなたがほしいものではないところに行ってしまうよと
あらゆる角度を変えながら伝えても
盲目な中で必死で生きている人たちには
なかなか届かない。
人の話を聞けないことや
怒り、攻撃をするなど
あらゆる状態として出てきます。
その人が選ぶことだと。
わかっていても。
大きな病気になる前に
セッションを受けてみるように促してみても
間に合わないことはたくさんありました。
声が届かないことが、つらい。
それが一番泣けてくる。
当人に何かが起こるか
もしくは子どもや周りの近しい人に何かが起こるか
予想していた通りのことが起こると
もうどうしようもない気持ちに
まだまだなってしまうことがあります。
自分の力不足という言葉で片づけきれない
神の領域もありますが
それでも私は人間なので
わかっていても、止められないのが
自分がここにいることの無意味さに
ときどき、天を仰ぐことがあります。
この世界は”意味なし”だけれど。
その言葉を自分に落とし込み
自分自身に力を取り戻して
辛いという言葉も、悔しいという言葉も
消化していく日々です。
自分のことで苦しい人は、
自分のことを考えることから
離れることができるとき
実は自分を救うことができることを
ほんの少しでもいいから
知ってほしい。
「自分軸」「自分」「アイデンティティ」を
ともすれば手放していくことの奇跡。
自己理解は、自己と離れた時に
自然とやってくる
そんなことも、変わらずお伝え
していきたいことです。
耳も、目も、塞いでいては
あなたに手を差し伸べる人のことにすら
気がつけない。
自分の状態を正しく受け止めていくことの
大切さは、
思っているよりもずっと遠くまで
そしてずっと広く
効果を発揮します。
私たちはこの世界をただ漂うだけだけど
せっかくこの世界を選んで生まれてきたのなら
ほんの少し、
みんなが真に辿り着きたいと思っている
光の道に
触れることの素晴らしさを
これからも伝えていってもいいよね。
さら
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