自分が何者かは関係ない
- さら ともみ
- 2月6日
- 読了時間: 4分
自意識の扱い方を深めていくことは、これからの時代において大変重要なことであると思います。
冒頭のタイトルにした【自分が何者かなんて関係ない】というのは、半分はその通りで半分は異なるとも思っています。
私たちは「自分が何者なのか」ということを常に探していて、
それは自分で自分の中から「自分が何者なのか」を見出すことで、パワーを得ることは全てのときにおいて必ずしも悪いことではないとも思えるからです。
けれど、「何者かにならなければならない」または、「常にそうあらねばならない」という感覚に取り込まれた瞬間に、それは自らを縛り付ける鎖のようになり、人は自由さを失います。
大前提として、自分は何者でもないということを理解している方が、自意識を手放し、この世界を楽しむことができるのです。
人からどう思われるか怖いのも、失敗したら怖いのも、自意識過剰な状態であるのかもしれません。
この過度な自意識は、自分自身への意識が強く向きすぎていることで生まれるものです。
本来、私たちは何かを成し遂げるときや、新しい挑戦をするときに、外側の世界に意識を向けているはずです。
しかし、「どう思われるか」「うまくやれるか」といった思考が前面に出ると、意識の矛先が自分に向かいすぎてしまい、動きが鈍くなります。
では、どうすれば自意識にとらわれずにいられるのでしょうか?
それは、「自意識のあり方」を根本から見直すことです。
ロバート・フリッツは、自意識とは「自分という存在への認識」だと述べています。
存在証明という表現がされることもありますね。
しかし、ここで重要なのは、
「その認識が私たちの行動や思考にどのような影響を与えているのか」を掴むということです。
まずこれが見えていないこと(自分が気づいていないということに気づいていない状態のこと)が非常に多いのです。
例えば、ピアニストが演奏中に「今の音はどう思われたか」「間違えたらどうしよう」と考えてしまうと、演奏に集中できません。
一方で、楽譜や音楽そのものに意識を向けていると、自然と流れに乗り、最高のパフォーマンスが発揮されます。
また、誰かに「この書類を片付ける場所、もっとこっちの方がいいんじゃない?」と言われたとき、
「えっ、違った?だめだった?一生懸命考えたのに。なんなら最初から先輩がやってくれたらよかったのに」などと考えてしまうと、問題がすり替わります。
自身の頭の中で繰り広げられる会話が、「自分自身」についてしゃべっているとき、これが自意識が邪魔する際に起こることです。
「自分」について考えているのか、それともそこに提示された「それそのもの」についてを考えているのかで、自身の心への影響も、他者への評価も、物事の進捗にも、全てにおいて異なる影響が起きるのです。
これは、どんな場面にも当てはまることです。
仕事でのプレゼン、人間関係での会話、創作活動などすべてにおいて、過度な自意識はエネルギーを内側に閉じ込め、可能性を狭めてしまいます。
エネルギーを外側に放射したい。
「自分が何者か」にこだわるほど、行動が縛られる落とし穴ですね。
「自分が何者か」
これも自分に力を与える素晴らしい問いだと私は思っています。
けれどそれに縛られたと思う時は、
いったんその問いを手放してみることが大切なのです。
「自分は何者でもない」
「ただあるだけのものがここにある」
問いにコントロールされるのではなく、
問いは可能性や新しい発見のために活用したい。
とはいえ、簡単ではないですよね。
こだわり、執着を手放すことほど行うに難しなものもありません。
だからこそ香り師では、それらについても意識と無意識のどちらも使ってバランスを取っていく方法を日々実践知の中でお伝えし、皆が練習をしています。
今日は香り師アドバンスチームの時間なので
自意識の扱い方についても今日もまた、話をしていこうと思います。
皆がより良く生きやすくなり、
さらに創造的な人生を送ることができますように!
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