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“迷惑をかけてはいけない”と思うとき
私たちはいつも「私」という主語の中で生きています。 「私はどう思うか」「私はどうすべきか」と、一人称の視点で世界を見つめ続ける。 でも、ときには“自分を三人称で見る”という距離のとり方が、心をとても軽くしてくれることがあります。 養老孟司先生がよく語られる「人称と死生観」という話にも通じますが、 自分を少し外側から眺めると、“私は”という執着から離れ、出来事をただ観ることができるようになります。 養老先生が語る「人称」とは 養老先生は、人の「人称」を手がかりに、死生観を語られます。 そこから思うことを書いてみようと思います。 先生は、自分が死ぬということを考える時、 これほど具体的に考えにくいものはないと仰います。 先生は「死は人称変化する」と。 先生は、自分の死というのは一人称だと。 自分の死を認識することはできない。 知ることはできない。 よく考えるとそうですよね。 自分が死んだかどうかはわからない。 死を「自分で確かめる」ことはできないからです。 それを先生は「一人称の死はない
10月20日読了時間: 10分


自分が何者かは関係ない
自意識の扱い方を深めていくことは、これからの時代において大変重要なことであると思います。 冒頭のタイトルにした【自分が何者かなんて関係ない】というのは、半分はその通りで半分は異なるとも思っています。 私たちは「自分が何者なのか」ということを常に探していて、...
2月6日読了時間: 4分
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