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原因は探さないでください

「瞑想中に怒りや不安などの感情が湧いてきて、それらを「怒り」とラベリングし、その原因を探すことをするのですが、その行為は正しいのでしょうか」

仏教のお坊さんがお答えくださいます。



何にも答えてはいけないと思うんですがね。と、仰いました。


原因を探さないでください。


勝手に見えてくるのです。

自然と瞑想

原因がないわけではないのです。


瞑想と説法とありますが、


瞑想は実践で、説法は知恵の学びの場としましょう。



どちらも実践していく必要があります。


けれど、実践の場で、原因を探すことは意味がないのです。



それは理屈ではありますが、


真にあなたを自由にする場所へつながる行為ではないのです。


わかったような気にはなれるのですが。


それは「刺激」です。



窮地に陥る時、今まで受け取ってきた知恵が


必要なタイミングで自分の中から引き出され、


助けてくれることはあるでしょう。


それは、自然の法に任せてあげてくださいと仰います。



意図的に使えると思っていることすら


人間の傲慢さかもしれませんね。



ある映画があるのですが


カッパが新しい土地に逃げ隠れ、移動してきました。


カッパは川に行き、神様にお願いをしました。


「ここにしばらく住まわせてください。


わたしが生きられるだけの命(魚)を取ることを


許してください」


川の流れ 自然


私たちは知恵を学びながらも、


実践の場ではいまここを生きることが


他のなににも変えられない重要なことなのです。



「原因をさがさないでください。


それは勝手に見えてくるのです」



因果という世界を知りながら、


それに縛られない今を掴んでいきましょう。



今日も善い一日を。


善い行い、善い言葉、善い考えを世界に✨



いつもありがとうございます。



さら ともみ



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