原因は探さないでください
- さら ともみ
- 2月17日
- 読了時間: 2分
「瞑想中に怒りや不安などの感情が湧いてきて、それらを「怒り」とラベリングし、その原因を探すことをするのですが、その行為は正しいのでしょうか」
仏教のお坊さんがお答えくださいます。
何にも答えてはいけないと思うんですがね。と、仰いました。
原因を探さないでください。
勝手に見えてくるのです。

原因がないわけではないのです。
瞑想と説法とありますが、
瞑想は実践で、説法は知恵の学びの場としましょう。
どちらも実践していく必要があります。
けれど、実践の場で、原因を探すことは意味がないのです。
それは理屈ではありますが、
真にあなたを自由にする場所へつながる行為ではないのです。
わかったような気にはなれるのですが。
それは「刺激」です。
窮地に陥る時、今まで受け取ってきた知恵が
必要なタイミングで自分の中から引き出され、
助けてくれることはあるでしょう。
それは、自然の法に任せてあげてくださいと仰います。
意図的に使えると思っていることすら
人間の傲慢さかもしれませんね。
ある映画があるのですが
カッパが新しい土地に逃げ隠れ、移動してきました。
カッパは川に行き、神様にお願いをしました。
「ここにしばらく住まわせてください。
わたしが生きられるだけの命(魚)を取ることを
許してください」

私たちは知恵を学びながらも、
実践の場ではいまここを生きることが
他のなににも変えられない重要なことなのです。
「原因をさがさないでください。
それは勝手に見えてくるのです」
因果という世界を知りながら、
それに縛られない今を掴んでいきましょう。
今日も善い一日を。
善い行い、善い言葉、善い考えを世界に✨
いつもありがとうございます。
さら ともみ
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