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『脳はいかにいして心を創るのか』

脳科学者ウォルター・フリーマンの『脳はいかにして心を創るのか』を読み返しています。

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フリーマンは約50年にわたって

「心は脳からどのように生まれるのか」という問いに取り組んできました。

その背景には、中世の哲学者トマス・アクィナスの影響があります。

アクィナス(1225〜1274年)は、

キリスト教神学とアリストテレス哲学を結びつけ、

人間の心や魂を「身体との関係の中で理解しよう」とした人でした。

アクィナス

一方、17世紀のデカルトは、

「心と身体は別の実体である」とする二元論を唱えました。

彼は脳の松果体を、心(魂)と身体がつながる特別な場所と考えました。

また動物精気と呼ばれる体液が脳を通って全身を動かす、と想定しました。

身体は魂が操る機械だとみなしていたのです。

つまりデカルトにとって、心と身体は切り離された存在だったのです。

デカルト 二元論

フリーマンはこうした立場ではなく、

むしろアクィナスに近い

「心は身体と切り離せない」という考えを、現代の科学で発展させていきました。


フリーマンによれば、

脳は単なる情報処理の機械ではありません。

環境や他者との関わりの中で

心というものが立ち上がる動的なプロセスだといいます。

そのカギとなるのが「志向性」です。

これは「心はいつも何かを目指している」という性質のこと。

私たちは何かを想像し、期待し、判断し、感覚で確かめ、

その結果を記憶と照らし合わせながら更新していきます。

そうやって自分を作り替えながら、意識が生まれているのだと説明します。

さらにフリーマンは、脳の働きを説明するためにいくつかの概念を持ち込みます。

志向性 … 心が常に対象や目的に向かう性質

カオス … 予測できないけれどパターンが生まれる動き

自己組織化 … 脳が自ら秩序を生み出す性質

非線形性・循環的因果律 … 小さな変化が大きな結果につながり、原因と結果が一方向ではない性質

大域アトラクター … 脳の活動が向かう安定したパターン


難しい用語ではありますが、まとめると、

「脳は常に世界と関わりながら、自分を作り替え、心を生み出している」ということです。

面白いのは、この考え方が仏教の思想、

特に唯識(ゆいしき)思想に近いと訳者が指摘している点です。

唯識とは、

「私たちが見ている世界は、心の働きがつくり出している」

という考えです。

私たちが知覚より得たあらゆる情報が脳の中でカオスとなり、

循環的因果律の中で自己組織化されていく。

表出の仕方は、感情であったり、説明であったり、様々かもしれません。

でも、そこにはなにか、

”自分という存在を通して、自分の中で更新され続ける世界が現れる”

そのこと自体は、唯識の世界観にとても共通性を私も感じます。

しかし、訳者はさらに続けます。

フリーマンは、

「人間のすべての思考・行動が、志向性に依拠し、脳・身体に埋め込まれた歴史・文化・社会および個人史・個体発生・系統発生等がその発生源である」

と述べているのは、この阿頼耶識の考えに基づいて提唱した「身体化された心」という概念に他ならない、


と言うのです。

これはどうでしょうか。

私はこのフリーマンの言葉を=阿頼耶識と同じものにすることは少し難しいような気はしますが、

近しいものは確かにあるのかもしれません。

「人間の思考や行動は志向性に支えられている」

その発生源は 脳や身体に刻まれた歴史・文化・社会・個人史・発生史・進化史。

つまり、心は身体や環境との関わりの中でダイナミックに立ち上がるもの。

ここで強調されるのは、”経験の積み重ねと環境の相互作用”です。

仏教の阿頼耶識は、

唯識思想の中で最も深い心の層のことで、

「過去の経験や業(行為の結果)が貯蔵される場」

個人の意識が生まれる土台であり、無意識的に未来の行動や認識に影響を与える

ここで強調されるのは、行為の痕跡(種子=しゅうじ)が蓄積し、次の心を生み出す仕組みです。

・過去の経験が蓄えられ、未来の意識や行動を形づくる

・心は身体や環境と切り離せず、ダイナミックに変化する

という点においては共通するものを感じることもできます。

しかし、阿頼耶識は、

実体ではなく、それは心のはたらきとして捉え、業や輪廻のような枠組みも含むものです。

そして、過去の経験や行為の痕跡を蓄える場であり、それは前世も含む過去の因果を前提にしています。

対してフリーマンが扱うのは、おそらく進化や文化、個人史といった科学的に説明できる過去です。

共通点はあるけれど、射程のスケールがかなり異なるようには思います。

次元の花

しかし、それでも。

すべての世界は志向性に基づいており、外側の出来事そのものが直接心を作るのではなく、感覚と内側の働きによって世界が形づくられる。

フリーマンがそう説く脳のダイナミズムの力は計り知れません。



うーーーん。

書籍自体は難しくて、なかなか理解が網羅しきれていませんが。

こうした議論は決定論と自由意志の問題にもつながっていて、まだまだ考える余地があると感じます。

また機会があれば時折考えてみようと思います。

みなさんは私たちの心はどこにあると思われますか?

もしくは、心は存在せず、どこからか生まれ出ていると思いますか?

私たちは脳も心も幸福や喜びの元に、正しく統合していけるのでしょうか。





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