思考がグルグルするとき、心はどこへ向かっているのか
- さら ともみ
- 6月22日
- 読了時間: 6分
頭で理解しようとすること。
理屈を通して辻褄を合わせていくこと。
納得すれば心もスッキリするし、動きやすくなる。
心の仕組みが分かりだすと、
それのようなこともうまくできるようになっていきます。
その知識を持つことで、たしかに解決できることはあります。
けれど、
メカニズムや知識としてのみ、心の仕組みを利用していると、
どこか根本が調和していない感覚が残ることもあります。
なにか人間の本来持ちうる能力の限界点に
頭を打ち付けてしまう段階がやってきます。
ずっと分析しているような状態です。
そういうときって、自分の「本来性」にまでは届いていない。
対処はできるけれど、
ほんとうのところにたどりつけない、
そんな限界がやってくる。
けれど、本当に自分とつながりはじめると、
知識やマニュアルを超えて、「わかる」という瞬間がやってくる。
力を抜いたほうが、うまくいく。
よく聞きますね。その通りです。
けれど、どうしてもわたしたちは
不安やモヤモヤしたことがあると
力を抜くことができない。
方向性は自分で選べるけれど、
すべてをコントロールすることはできない。
全部を「わかる」ことも、できない。
けれど私たちは、
「わかりたい」「こうなってほしい」
そう思いすぎて
無意識のうちにあらゆるものを
コントロールしようとしてしまう。
たとえば、不安なとき。
「早くこの苦しさを終わらせたい」
「原因を知って、対処したい」
そう思って、必死に出口を探そうとします。
そのこと自体が、
ぐるぐるとした思考のループに、更に私たちを引き込んでいく。
解決したいと思う自分自身が
その迷路のような抜け出せない苦しさを作っていること
それに気づいてないことも多いのです。
今回の香り師のグループセッションでは、
そうした状態を見つめ直す時間としました。
***
仏教には「止観(しかん)」という考え方があります。
止は心を落ち着かせ、思考の流れを止める。
心を静め、妄念を離れる修習。
止=禅定(心を一所に住せしむること) 出典:『摩訶止観』序章・釈名門、校訂版
【止】:サマタ。心を一境に住せしめて散乱を止める。 出典:『仏教語大辞典』中村元
観は感情や思考の動きを観察し、その本質に気づいていく。
心の動きを見つめ、気づきを得ていくこと。
智慧をもって対象を正しく観察する。
観=智慧(諸法の実相を観察すること) 観は諸法の無常・無我などの真理を見抜く智慧の修習。 出典:『摩訶止観』序章・釈名門、校訂版
【観】:ヴィパッシャナー。物事をあるがままに観察すること。 出典:『仏教語大辞典』中村元
また、二法は鳥の両翼、車の両輪のように不可分。ともあります。
どちらだけでも不十分。
止観は、頭で理解するというより、体感の中で培われていくものです。
現代ではマインドフルネスや瞑想として似た感覚が広まりつつあります。
マインドフルネスという在り方は、
仏教の用語でいう正念(しょうねん)に近いとも言えるかもしれません。
今回は止に近い感覚としてマインドフルネスを説明しましたが、
もう少し丁寧に説明するなら、
マインドフルネスは「止」と「観」の橋渡しのような存在。
それがマインドフルネスの位置付けとしては近く、
その点でも、正念の在り方と重なる部分があります。
※ただし、ここで注意したいのは、
マインドフルネスと仏教の止観・正念は、
根本の目的や文脈が異なるということ。
そのため、まったく同じものとして扱うことには慎重でありたいと思っています。
呼吸に気づくことや今に注意を向けるという点では、
マインドフルネスと仏教の坐禅・止観(または正念)は似ています。
しかし、仏教の止観では、単に落ち着くことが目的ではありません。
気づきを深めることで、苦しみのもとに気づき、
そこから自然と自由になっていくための道でもあります。
それは、生き方としての深い気づきです。
何か悪いものがあり、それを治そうというものではなく、
気づきが深まることで自然と変わっていく自分や姿勢に気づいていく。
そのようなことを尊重しています。
それ故、香り師の場では、
より根の深い止観や肚に落ちる実践として、
日々の実践知のなかで、体感として深めていくことを大切にしています。
そのような背景もあり、今回の講座では、
あえて止と観のみに絞って、シンプルにお伝えしました。
説明すると、複雑になり頭を使ってしまうので、少しずつ。。
***
心が不安になると、脳の働きは
マインドワンダリングと呼ばれる状態になりやすくなります。
思考や心がさまよい、
今この瞬間に留まることができなくなる状態です。
そんなとき、止の感覚を思い出すこと。
そして
観の目を育てていくこと。
それが、繊細だけれど確かな自分とのつながりにつながります。
そしてその積み重ねが、やがて「直観力」を生み出していく。
そのあとに、わたし自身の考えとして
「思考と選択と行い」が正しく生まれると捉えます。
よく答えは自分の中にあると言われますが、
それは、心のノイズ(トラウマや雑念)から
ある程度解放されていなければ届かないもの。
(解放とは消滅とも異なります)
私は人間として最大限の力を発揮できる人を増やしたいと思っています。
ここで言う「人間として」ということばの意味は、
また別の機会にお話ししますね。
正しく思考し、正しく行動する力。
そして、頭ではなく身体や心の実感を通して育てていく”本当の理解力”
香りと新たな考え方の体系を通して届けたいのは、
そうした人としての軸を育てることです。
心は目に見えないけれど、
丁寧に向き合い、育てていくことはできる。
今後も、そんな人間育成のサポートを続けていきたいと思います🌿


※この投稿に記された内容は、仏教をはじめとするさまざまな宗教的伝統、哲学、心理学、各種聖典など、複数の知見を背景としています。
それらに深く探究を重ねてこられた先人や専門家の方々への敬意を込めつつ、香り師としての実践・体験・対話のなかで、香りと結び合わせながら、独自に再構築した捉え方です。
教義や専門知の解説を目的としたものではなく、実践を通して立ち上がってきた思考や感覚を編み直し、ひとつの体系として提示しているものです。
正確な宗教的・学術的理解を求められる方は、専門家の情報をご参照ください。
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また、香りと「いまここを生きる術」を組み合わせた独自の体系も、現在構築中です。
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